織田信長・豊臣秀吉の家系図

織田信長は尾張(愛知県)に生まれました。
すぐとなりの美濃(岐阜)には、斉藤道三という強敵がいました。
信長はかれの娘(濃姫)と結婚し、協力関係を築きます。
その後、信長は近江(滋賀県)を通って京都を制圧しようと考えます。
そこで、妹のお市を近江の支配者である浅井家へと嫁がせました。
こうして京都に入った信長ですが、1582年、「本能寺の変」で明智光秀の謀反にあい、自害します。
信長の覇業を継いで天下を取ったのが、秀吉です。
秀吉は、お市の生んだ子・茶々(淀殿)を側室に向かえます。
このとき二人の間にできた子が秀頼です。
秀吉は死ぬとき、徳川家康に対して「くれぐれも秀頼をたのむ」と言い残しました。
しかし秀頼はその家康によって「大阪の陣」で攻められ、亡くなりました。
織田、豊臣、徳川をすべて結合させた家系図はこちらです。
→織田-豊臣-徳川
|